DUCATI 3

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2021年2月24日水曜日

悲しくてやりきれない話。





1月のある日

兄からの電話で
父が亡くなったことを知りました。


すい臓がんで余命1年以内と
告げられたのは昨年の春のこと。



故郷を目指して



緊急事態宣言下、
関東に住む人間が、東北へ行くのは
なにかと抵抗があり
強く迷いましたが



「車で、すぐに帰省する」という兄の言葉を聞いて
慌てて荷造りし
同乗して故郷を目指しました。







せめて
最後に、父の顔を見て


育ててくれたお礼を
きちんと伝えたかったんです。




そして
できるだけ短時間で、
ひっそりと帰ろうと決めていました。








その日は大雪で高速道路が通行止めになり
一般道もすごい雪



80歳を目前に
抗がん剤で辛い治療を続けていました。



時を同じくして新型ウイルスの流行が始まり
4月には初の緊急事態宣言。



一人で看病し、疲労している母を手伝うこともできず



入退院を繰り返す日々でしたが
お見舞いに行くこともできませんでした。

辛かったな。






「自粛警察」という言葉もできるほど


感染が拡大している「関東に住んでいる人間」は
感染者の少ない地方の人にとっては危険因子。
残念ながら”迷惑な存在”になってしまいました。


それぞれの立場になって考えると
心情はよくわかる。


ですので


私は、この”現象”に
怒る気持ちはありません。



ただただ、悲しいですね。


周囲に配慮して
できるだけ人と合わないように過ごすつもりでしたので
葬儀には出ないと決めていました。



やはり
葬儀会社からも、
県外の人は参加しないでほしいと申し出がありました。



うん。わかる。
社会的な立場を考えれば、そうなります。




父親の葬儀にも参列できない。
切ないですが現実です。



今の社会の状況を想えば、よくわかる。


同じような立場の人も
もっと悲しい状況の人も
たくさんいます。
世界中で。







歌が好きだった父。

誰もいないときに、
そばでウクレレを弾いていました。








翌日に帰る予定が
大雪のため、列車が運休になってしまい
数日とどまることになりました。




納棺の前日
母から「これを絵に描いて。」と父の愛用品を渡されました。



棺の中に、金属の物を入れられないので
せめて絵を入れようと考えたそうです。



絵描きの仕事を、ずっと反対している母なので
その言葉は
嬉しかったです。


父の役に立ちますように。



有り合わせのコート紙に色鉛筆で描いたので
発色がよくなかったけど





火葬の日は 珍しく青空が見えました。








そして
5日目の早朝
一人電車で帰ってきました。




お世話になった皆様、ありがとうございました。




冬に帰省したのは20年ぶり






車窓から見える 白い雪原。

どこまでも続く同じ色を見ていたら



ボンネビル塩平原の風景と重なりました。


 




このバイクの持ち主、バートマンローは

「夢を追わない人間は野菜と同じだ。」との名言を残しましたが



父の夢は何だったんだろう。
もっといろんなことを話したかったです。