M'S ARTWORKS
2026年3月20日金曜日
1965 Jaguar 3.8 Mk2 別れの唄 ④
先週は、埼玉大陸を縦断してきました。
写真は秩父鉄道の波久礼駅。
明治36年、上武鉄道の駅として開業
いつかバイクで来たいと思っていた埼玉、寄居を
走ることが出来ました。
さて、製作中のJaguar 3.8 Mk2
ガレージの左の壁に展示してある絵を
描き入れました。
こちらの絵は、2017年に
オーダー製作した絵なのです。
たたみ一畳分の大きさがあり
完成まで、ずいぶん長い月日を費やした記憶があります。
(ごはん食べずに夢中で絵を描いて
いつのまに痩せてました(笑)
懐かしい思い出に浸ってしまいました。
かなり時間をかけて描きました。
少しずつ、それでも着実に
筆を進めております。
引き続きガンバリマス!
今回の埼玉では
あるきっかけで、青春時代が蘇る
2026年3月10日火曜日
1965 Jaguar 3.8 Mk2 別れの唄 ③
2026年3月5日木曜日
1965 Jaguar 3.8 Mk2 別れの唄②
街かどで 出会ったモンロー。
美しい彼女は
スポットライトが似合います。
さて、製作中のJaguarの絵
背景から描き進めています。
ガレージの奥で
そっと輝くクリスマスツリー。
「暖かい光」を表現してみました。
後ろのブラインドから漏れる日差しなど
光を描くのは、難しい
それはきっと、形がないからでしょうね。
そして
木の梁は、ダークな色合いにしました。
背景が仕上がった後で描く、主役のJaguarと御影石の床。
天井の梁は車体と床に写り込みます。
その時の色合いのバランスを考えて、暗い色にしました。
そして、この色はガレージの雰囲気に合うと思います。
いかがでしょうか。
こちらのガレージには、数点の絵が展示してあります。
最初に選んだのは
懐かしい一枚
「茅ヶ崎より愛を込めて」と名付けた私の作品。
原画を飾って頂いています。
この絵が入って、落ち着きました。
引き続き、がんばります!
2026年2月26日木曜日
1965 Jaguar 3.8 Mk2 別れの唄 ①
出会いがあれば、別れがあります。
長年、大切に乗っていた愛車を
手放すと決めたオーナーさん。
「一枚の絵に残そうと思った」
と、ご連絡をいただきました。
送られて来たのは、ガレージの写真
先日、パースを取り直したガレージです。
進捗状況を 楽しみにしておられ、
ときおりブログに載せてほしい。とのご要望。
さっそく、今日までの様子を
ブログに載せていきます。
| キュビズムのよう(笑) |
下絵を描いた後に、アクリル絵の具で
色を塗り始めています。
ガレージには、いろいろなものが配置してあります。
絵画や、キャビネット、クリスマスツリー。
壁を触った時の、少しザラッとした感じなど
それぞれの「質感」を、表現するべく絵具と戦っています。
そして、
実際の床材は
コンクリートに着色したものですが
母屋と揃えて、御影石の床に変更することになりました。
光沢のある御影石なので、あらゆるものが反射します。
| 御影石グレーをザックリと |
映り込みを、想像して描くのもいいけれど
試行錯誤に時間がかかりそう。
床をグレーに塗りながら、考えました。
↓
そこで、思いついたのが
家にあるミニ”ベンツ”で、同じ環境を作ってみよう!と (笑)
【実験材料】
・リビングのテーブル
・壁に見立てた箱2個
・ジャガーになりきったベンツ
・ガレージの奥で輝くクリスマスツリーは、照明とガラス玉
・暗がりを作るための、ギターケース
何枚か配置を変えながら撮影して
選んだ一枚が、こちらです。
| ナイスアイデア(自画自賛です) |
床の映り込みは、この画像を参考にします。
ただし、リビングのテーブルはツヤがありすぎるので
もう少し、柔らかい映り込みに変えたいと考えています。
引き続き、がんばります!
2026年2月24日火曜日
観音崎に残る戦跡 砲台見学ツアーに参加してきました
三浦半島の先端にある、観音崎
大きな公園ですが
明治時代から国防の要として
東京湾要塞が作られた場所です。
2月14日に行われた
砲台見学ツアーに参加してきました。
基礎部分のアーチは
通気性を考えて設計されました。
平成23年までは、モルタルで白塗りされ
「青少年の村」集会室として
利用されていたそうです。
なごりのフクロウが、こちらを見ていました。
館内は当時の木組みが見られます。
最初から見ごたえ抜群ですが
ここで一時間の座学を受けて、いざ出発。
北門第一砲台跡は
日本で最初の西洋式砲台
煉瓦の積み方で
作られた時代がわかるそうです。
隙間を埋める黒いものは、天然のアスファルト。
当時、秋田県で産出されていたものを使用
第三砲台跡。
四角いくぼみは
弾丸を置いておくための空間
旧陸軍が明治10~20年代にかけて
9つの砲台を建設。
日清戦争、日露戦争時に
戦闘態勢につきましたが
実戦で発砲はされなかったそうです。
兵器の進歩で航空戦へと変わり
戦艦を狙うための大砲では、飛行機に届かないため
大正時代に廃止されていった砲台。
三軒家園地砲台跡
「陸軍の迷彩色」が塗られています。
この日の参加は16名
説明を聞きながら、3時間ほど公園内を散策。
傾斜のきつい細い山道もあり
いい運動になりました。
「防衛施設庁」の文字
第ニ海保(保の下に”土”)も見えました。
すべてが「人の手」で作られたんですよね
ものすごい労力に驚きます。
関東大震災で
崩れた場所もあるそうです。
植物に囲われてゆく砲台跡
大砲が設置されていた場所には
当時のアンカーボルトが残っていました。
転ばないよう、気を付けましょう
山道から見えた観音崎灯台。
1869(明治2年)に点灯した、日本初の洋式灯台で
震災で2度倒壊し、今の灯台は
大正14年に再建されたそう
各所をわかりやすく説明していただき
観音崎の歴史を知り
充実した時間を過ごしました。
説明を受けて「めがね橋」の下を覗くと
驚くほど深い切通しがありました。
ただ通るだけでは気が付かないですよね。
橋の根元に残る、昔の煉瓦など
研究家ならではのポイントも盛りだくさん。
ツアーに参加して、良かったです!(感動)
展望台には、戦没船員の碑
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