DUCATI 3

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2025年3月15日土曜日

見えるのは、どんな地平線



ウルトラ警備隊の基地のよう。




ここは、横浜市栄区

本郷台駅前にある”あーすぷらざ”







数日前に、偶然出会ったこのチケットが

私を呼んでいたんです。





世界中を取材した、珠玉の作品が並んでいました。





砂漠で生きる人々

収容所や刑務所で暮らす人々



厳しい環境で、生きる人々。

被写体のまなざしには、それぞれの人生が力強く映り

心打たれました。





自分が見ている世界が、世の中のすべてではないんですよね。







「地平線の彼方へ」という

写真とエッセイが綴られた本を買い求めました。


サインも入っていて、ラッキーであります!





”あーすぷらざ”の愛称で親しまれている施設名は

「神奈川県立地球市民かながわプラザ」

1998年に開館しました。






世界の文化に触れるコーナーなどもあり

子どもが小さいときは、よく訪れていました。





「地球市民」って、いい言葉ですよね。








むかし、仕事で本郷台に来ていたので(30年前か)

もともとこの土地にあった消防学校も覚えています。











 

2025年2月14日金曜日

永遠の1/4

 




「祖母のことを知りたい」と

ずっと、思っていました。



私は山形で生まれましたが

祖母は、神奈川の出身。



知っているのは、昔 親戚に聞いた

大まかな生い立ちのみ。



そんな折に

友人から、先祖の戸籍を取れると聞き

さっそく区役所へ行き、申請しました。



細かく調べるとのことで、ひと月半ほど待ち

14枚の戸籍を手にしました。



そこには、天保や嘉永に生まれた

ご先祖の名前が 並んでいました。






この人たちがいたから、私がいる。

一人ひとりの名前を見つめて、感動で胸が熱くなりました。













手描きの戸籍を読み解くと

「須馬村須賀」現在の平塚市

海沿いの須賀で生まれた事がわかりました。









まずは平塚市役所に走り

戸籍を調べてもらうと





古い戸籍の地名や番地は

もう使われていないため資料がなく

「当時の公図」を取る必要がありました。





旧公図は管轄の法務局、二宮で取れるとのこと

平塚市役所を出たのは16時30分。

法務局の受付は、17時で終了します。




どう考えてもぎりぎりなので、

あらかじめ電話して説明し、向かいました。





16時57分 セーフでドアをくぐると

「須賀の人、ですよね」と迎えてくれました。感謝




和紙の公図は、当時

村の人々が描いたため、土地の広さや道路が

正確ではないそうです。




さらに古い地図を調べていると

平塚大門会のHPで、市全体の地図を見つけました。




須賀村は

昔から、河川貿易で栄えていたそうです。

平塚の歴史も調べました。笑







法務局の帰りに

「祖母が生まれた場所に、行ってみたい」と

平塚のボインゴさんに地図を見せると





「探しましょう!」と話に乗ってくれて

先日のツーリングの後に、古い地図を持って

バイクで探索しました。






須賀でお店を100年続けている老舗の

虎屋さんはボインゴさんの知り合いで



資料を渡して説明すると

場所を特定してくれました。








そこは、以前から通るたびに

振り返っては眺めていた場所。



驚きました。



ここの景色が、好きだったんです。




先祖に呼ばれていたのかな。笑







平塚で生まれた祖母は

4歳で養子になり、横須賀へ移りました。


大日本帝国海軍の軍人だった祖父と

横須賀で出会い、18歳で結婚。


日本中の軍港を巡りながら

7人の子供を産み育てた祖母。

私の母は、広島の呉で産まれたのです。


太平洋戦争が終わり

祖父の実家、山形に来ました。



3月10日は、祖母の誕生日

生きていたら111歳


品があり優しく、よく笑う祖母が

大好きでした。







早朝ツーリングの後に

一緒に探索してくれたボインゴさん、山口さん

そして虎屋さん

ありがとうございました。











機会を作って、横須賀で暮らした場所も

調べる予定です♪













2025年1月20日月曜日

消えていく歴史的遺産





一年前に訪れた、横浜中華街

寒い日でした。




裏路地にある、蔦に覆われた趣のある建物。




ここは中華料理店「同發」の

菓子工場として使われていましたが




2024年初夏に解体されて

今はもう、残っていません。





戦前に建てられた、趣のあるデザイン

夏は緑の蔦に覆われ

見る人の心を惹きつけました。




新緑の蔦が鮮やかな季節に

壊されてゆく光景を

想像すると胸が痛みますな。






スイス商社、インド生糸倉庫、米軍施設を経て

最後は、中華菓子の工場として活躍したそうです。

港町・横浜が辿ってきた歴史に想いを馳せます。





無くなる前に

目で見て、感じることができて良かった。




ずっと気になっていた建物が

いつのまにか無くなるのは寂しいよね。





ここに確かにあった記憶を

せめて写真に残したい歴史的遺産。




壊すのは一瞬だけど

歴史はすぐには作れない。


シャッターを押すのも一瞬だけど

私は、ずっと忘れないよ。

























 

2025年1月2日木曜日

謹賀新年 2025年は、昭和100年

 




新年 あけましておめでとうございます。






今年の初乗りは、本日 1月2日

畑へ野菜を採りに行ってきました。






とれたてのキャベツ、白菜

にんじん&ブロッコリーを

大きな風呂敷に包み、結ぶのは もちろんゴムバンド。




風呂敷って、便利ですよね。

なんてったってエコロジー。

つくづく昔の文化の素晴らしさを痛感します。







深谷通信隊跡地まで足を伸ばして

美しい富士山を眺めてきました。







横浜に越してから

ここが一番近所にある「広々した場所」



つい立ち寄ってしまいます♬






懐かしき茅ヶ崎




さて、この年末は

旦那が転んで ”両手にギブス”







本人も「コントみたいやな」と

笑っているくらい元気ですが



右小指骨折と左手首にヒビが入り

正月明けに手術となりました。

指先は出ているので、なんとか生活はできる状態ですので

どうぞご心配なく(ペコリ)




年末年始は、久しぶりに

山形の故郷に帰る予定でしたが

すべてキャンセルになりました。







大晦日には、

2024年の苦難に縁を切り

長寿と健康を願って

年越しそばを食べましたよ。笑







そんなこんなで

12月後半はバタバタと過ぎ

年賀状も書けずに終わってしまいました。






生きていると、いろんなことがありますね。




コップに残った水を「もうこれだけか」と嘆くか

「まだこれだけある」と希望を持つか。



自分の心の持ちかた一つで、変わる。



前向きに、毎日を楽しみたいものです。





あ。私はすこぶる元気です♪

本年も、どうぞよろしくお願い致します。



昭和100年 1月2日

鈴木ミナコ













2024年12月23日月曜日

Harley Davidson と夢の蕎麦屋の話

 





「脱サラして、立ち食い蕎麦屋を始めたいんです」

とのご連絡を頂きました。






いろんなお店を食べ歩き、味の研究をしている日々

出店場所も、決めている。

数年後を目標に、構想を練っているそうです。



そこで

「外観を、鈴木さんの想像で描いてもらえませんか。」

とのオーダーでした。




「夢の店舗を描く」とは、なかなか珍しいこと。

その昔、設計事務所で完成図(立面・パース)を描いていたこともあり

がぜん制作意欲に火が付きました。





何も知らずに描くわけにはいきません。

まずは現地調査でしょ。と

晩秋の都内へ、CBで出かけ

出店予定地の商店街を歩きました。







そこは、旧東海道

江戸時代には

多くの旅人で賑わった場所でした。







歴史を調べて、制作に取り組みました。



外観は、”江戸の町屋風”に決定。



のれんや提灯の歴史も調べたり



店先には、愛車のハーレーを描いてほしいとのご希望です。






藍染のれん、白提灯。

門灯が暖かく迎えてくれるお店


Harley Davidson sportster


のれんをくぐると

だしの香りが漂う店内。




こんなお店で、立ち食いそばをいただきたい。

すっかり、私好みの外観になりました。笑






先日、お渡しして

とても喜んでくださいました。




長年の夢、叶うといいですね。

オーダーありがとうございました。










さて、ここからは

現地調査の帰りのこと

冷えた体を温めようと、喫茶店を検索しました。




創業48年


「梅屋敷」という風光明媚な名称の街にある

亜胡に立ち寄りました。








カウンターからCBを眺めていた常連さんが

「あたしも長年バイクに乗っていたのよ」と

思い出を話してくれました。



お会計を済ませ、革ジャンを着込んでいると

「またおいで」と

微笑むバイカー姐さん。









「近いから寄ったらいいわよ」

ママが教えてくれた池上本門寺へ







車坂を駆け上がると

広大な寺院と、大きな五重塔がありました。





力道山のお墓もあるんですね。






桜の時期が美しいそうです。

春に、また来ようと思いました。





門前の和菓子屋さんで

人形焼きをお土産に





ひとり思い立った現調ツーリングでしたが

いろんな出会いがあり

心温まる晩秋の一日でした♬




蕎麦店の外観を

暖かい感じにしたいと思ったのは

東京の温かい人情に触れたからかもしれません。